自身の志を貫くために、「高知ファイティングドッグス」に入団した藤川球児。
いよいよ登板の日。
6月20日、球界から注目されていた香川・徳島連合チームとのオープン戦。
場所は高知市営球場・・・彼の故郷です。
この日は3千人近い観客・・・高知主催の試合では2005年のリーグ発足以降最多の観客。
注目度MAX。
古巣の阪神、楽天、DeNA、ソフトバンクのNPB4球団のスカウトが視察する中での「初登板」。
藤川投手、日本での投球は3年前の2012年9月5日の東京ドームは巨人戦以来、1008日ぶりです。
「言っておくけど、俺、今でも150キロ投げれるからね」
会見時にはそう話していた藤川投手。
向かえた登板初回、注目の初球はストレートは145キロ。
この日の最速は3球目の146キロ。そのボールを内野安打されると盗塁と犠打で走者を進められ、2死三塁では4番打者への2球目がフォークがワンバウンドする暴投で1失点。
2、3回は3者凡退。3回2死では高めの141キロの直球、空振りで三振を取ります。
4回には連打と四球で無死満塁のピンチを招きますが、後続をフォークで空振り三振、その後三ゴロ、三邪飛に打ち取り切り抜けます。
高知での初登板の投球は4回を投げ、打者18人に対し57球、5安打1失点。
最速146キロの直球以外には、スライダー、フォーク、カットボール、ツーシームも織り交まぜた投球でした。
届かなかった急速150キロ・・・
「甲子園ならスピードガンは速いので出ると思いますよ」とジョークも、
「認めたくないといえば、そうなのかもしれないですね」と思わず本音も。
藤川球児
http://mode-id.at.webry.info/200809/article_48.htm...より★
1980年7月生。34歳。
高知商業から1999年にドラフト1位で阪神に入団。
2005年、阪神では当時絶対的な継投策としていたJFK(J:ジェイミー・ブラウン F:藤川球児 K:久保田智之)の一角として80試合に登板、優勝に貢献。
2006年のシーズン途中からクローザーとして定着、以降はご存じ阪神の絶対的守護神として活躍。
2007年には日本記録となる46セーブをマーク。
2013年、鳴り物入りでメジャーに挑戦、カブスに入団するも怪我で思うように投げれず、オフにトミー・ジョン手術を受ける。
今季、レンジャーズで故障からの復帰を果たすも自由契約。
「野球人生の再スタートは自分を育ててくれた高知で、高知の子供たちに投げる姿を見せることで夢につなげてほしい」
日本球界復帰はNPB、阪神との予想を覆し、今季彼は四国独立リーグで復帰。
年俸制ではなく「1仕合契約」。
火の玉ストレート
阪神での彼のストレートはこう呼ばれていました。
1試合1試合、腕がちぎれても構わないという気迫、魂を込めていたからこそ、そう呼ばれていました。
これから藤川投手の投げるストレート、もうひょっとしたら150キロには届かないかもしれません。
もうNPBでは投げれないかも。
でも、
野球への思い、家族への思い、そして故郷高知への思い・・
これからはきっと、過去とは違う、色んな気迫、魂を込めて投げ続けてい事くでしょう。
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